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社会問題

2006/03/15

低俗週刊誌

 今朝の朝刊に載った週刊誌の見出しが話題になった。「週刊現代」という雑誌だ。

 「駒大苫小牧」は”少年犯罪のデパート”「センバツ辞退どころか夏の優勝旗を返せ」

  一緒に掲載されている記事の見出しを見る限り、セックス、暴力、スキャンダルを中心に人間の低俗な欲望を売りにする、いわゆる低俗週刊誌のようだ。

 いくら低俗でも最低のプライドぐらいないのかと思ってしまう。どうせへたくそな文章で人の感情を逆撫でするようなことを延々と書き連ねてあるのだろうが、もう少しどうにかならないのか。 

 かつて田岡組長は「ガキをシャブ漬けにするな」と部下に命じたという。「日本の将来を背負う子どもたちには手を出すな」と命じたのだ。

 それに比べてこの記事の見だしは仁義も何もない。「金になるなら何でもいい」という意地汚さが見え隠れする。

 愛と勇気のスクープ週刊誌!!というキャッチフレーズも赤面ものだが、まあ、そう思われることまで計算に入れてわざとやってるんだろうけど。

 金はなければ困るけど、こんなことまでしなくては生きていけないのだろうか。

 餌食になった駒大苫小牧の生徒、教職員の方々は気の毒としか言いようがない。 

2006/02/16

道警裏金事件のその後を伝える北海道新聞社

 北海道新聞社はWebサイトではまだしっかり道警裏金事件の追跡を行っている。

http://www5.hokkaido-np.co.jp/syakai/housyouhi/document/index.html

 道新と道警裏金不正問題で書いた鉢呂氏の質問のその後がどうなったかを伝えている。

道警裏金 鉢呂氏の質問主意書 政府、答弁避ける 2006/02/10(金)

 また、知事の姿勢もどんなものか次の記事で知ることができる。

道予算 捜査報償費は30%増の8500万円 道警要求受け入れ 2006/02/11(土)

 この問題については道新を応援したい。より多くの人が上記のサイトを訪れて欲しいと思う。

2006/02/08

道新と道警裏金不正問題

 また、学校と関係ない話題で恐縮だが、道警不正問題をもう一度扱いたい。

過去3回この問題に触れてきたが北海道にとってはとても大きな問題だと思う。

 が、高橋知事も道議会も解明や責任追及には消極的だ。時に反社会的とさえ思えるほどだ。 

http://ves04213.cocolog-nifty.com/school/2005/03/post_4.html

http://ves04213.cocolog-nifty.com/school/2006/01/post_dab1.html

http://ves04213.cocolog-nifty.com/school/2006/01/post_1ce3.html

 道警の芦刈本部長は何ら責任を問われることもなく転出してしまった。北海道民にとってはとんでもない話だ。道新の動きも怪しい。道警との手打ちを批判され火消しに躍起になっているという印象がぬぐえない。

 しかし、北海道新聞社は裏金問題のページをWEB上にまだ残している。

 その姿勢は評価されるべきだろう。

 http://www5.hokkaido-np.co.jp/syakai/housyouhi/document/index.html

 たまに覗かせてもらっているが、事件はいまだに継続中だ。道警は犯罪を犯しているのに起訴さえされていない。12月13日付の同サイトの記事は次の用に伝えている。

 裏金問題 道警幹部7人不起訴 札幌地検「私的流用なし」

 同地検は、中塚幸男旭川方面本部長ら五人の署長経験者と和田徹通信指令官の業務上横領容疑については、署員に虚偽の支払精算書を作らせるなどして、捜査用報償費(道費)を裏金化した事実はあったものの「捜査に必要な経費として使用し、私的流用は認められなかった」(石田次席)として、横領に当たらないと判断した。
 

 裏金があって、「それが私的に流用されたことがない」という「とんでも解釈」だ。

 民主党の鉢呂議員がこの問題について、地検に質問状を出したが、。「刑事訴訟法では不起訴処分についての質問に回答する義務はない」と突っぱねられている。

 つまり、「不起訴は納得できないから理由をいえ」と聞かれたのに対し「不起訴の事件だから理由を教える必要はない」と突っぱねたことになる。

 やましいところがないなら追求ができるはずだから、地検も同じ穴の狢であることが推測される。だとするとこれ以上の追求は困難が予想される。

 今日(2月7日)また動きがあったことを伝えている。

  札幌地検、公金での餞別容認 鉢呂氏、首相に質問書 道警裏金

 一連の道警裏金問題で、道警幹部七人(退職者を含む)が不起訴処分となったことを受け、民主党の鉢呂吉雄衆院議員は、札幌地検が私的流用がないと判断した根拠について小泉純一郎首相に尋ねる質問主意書を提出、六日に受理された

 原則として一週間以内に回答があるという。注目したい。

2006/02/07

自民党憲法草案を批判する。

 また、サイトの趣旨と外れるが、教育に携わる人間として
憲法自民党草案を批判したい。

 憲法は為政者に対しての規範、あるいは縛りだ。
 
 その精神は日本国憲法前文に読み取れる。

「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」

「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」という文言が、憲法は国民が為政者に突きつけた要求であることをよく示している。

 当然、為政者としては窮屈でたまらない。アメリカから「参戦」を要求され、自民党の支持母体である財界は、アメリカの多国籍企業のように、自国の軍隊に守られながら他国で事業を展開したいと願っている。他国の領土で戦闘行為ができる軍隊がほしいのだ。

 自民党草案の狙いもまた前文から読み取ることができる。

   前文(自民党草案)

 日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する。
 象徴天皇制は、これを維持する。
また、国民主権と民主主義、自由主義と基本的人権の尊重及び平和主義と国際協調主義の基本原則は、不変の価値として継承する。
 日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し、自由かつ公正で活力ある社会の発展と国民福祉の充実を図り、教育の振興と文化の創造及び地方自治の発展を重視する。
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に願い、他国とともにその実現のため、協力し合う。
国際社会において、価値観の多様性を認めつつ、圧政や人権侵害を根絶させるため、不断の努力を行う。
 日本国民は、自然との共生を信条に、自国のみならずかけがえのない地球の環境を守るため、力を尽くす。

 すべて「日本国民は~」という形に置き換えて、政府に対する縛りが何一つなくなっていることがわかる。

「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し、」にいたっては見当違いも甚だしい。政府が国民に要求を突きつけている。主客転倒である。もはや憲法とはいえない。

 日本国政府と日本国民は一心同体ではない。かつて政府は戦争を引き起こし、多くの国民を死なせた。

 戦後、日本政府は自分の責任を認めず「一億総ざんげ」があらわすように、「あの戦争を起こしたのは日本人全員です」と言い逃れた。

  南太平洋で、東南アジアで、満州で、シベリア、沖縄で、東京で、広島で、長崎で多くの人たちが悲惨な最期を遂げた。為政者たちは、それを国民に謝るどころか「私たちみんな間違ってましたね」と責任逃れをした過去がある。犠牲になった人たちはさぞ無念だろう。

その反省があったから日本人は日本国憲法を大切にして、平和主義を政府に守らせてきた。だからこそ60年も平和が続いた。

 武力がいかに無力であるか、軍国主義を貫くアメリカの現状を見ればわかる。国防の中枢が簡単に破壊されている。イラクで2000人以上もアメリカ人が死んでいる。それも世界各国の批判を浴びながら。犠牲になる兵士たちは日本でいう「負け組」の人たちだ。「勝ち組」はアメリカ国内で優雅に暮らしている。

 自衛隊の演習で、本土に攻め込んでくるような仮想敵国が設定できなくなった。政府は「テロリスト」「北朝鮮」で国民の不安をあおることに必死だ。もっとも都合がいいのは北朝鮮から性能の悪いミサイルが飛んでくることだろう。そうならないよう、外交努力をする義務が政府にある。

 日本政府がかつて何をしたか。それを忘れてはならない。

2006/01/17

小児科医が不足している

 少子化の時代にもかかわらず、小児科の医師が不足しているという。

 大学の同窓会の支部から案内が来て、出かけたら出席者の半数は開業医だった。医師同士の内輪の話が、部外者にはとても興味深かった。

 小児科は診断がとても難しいし、原因不明で死亡する場合も少なくない。大人の病人が死ぬ場合と異なり、未来が期待されている子どもたちを亡くすと親の失望も大きく、医療訴訟に発展する場合も少なくない。他の科に比べてリスクが大きい。そのため年々希望者が少なくなっているということだった。

 妻の友人も、医師である夫が医療ミスで訴えられて悩んでいるという話を聞いた。医療そのものではなく、訴訟問題について医師同士が深刻な顔をして話し合っているのを見ていると、気の毒になる。何よりも、医師がそんなことに大きなエネルギーを割くのは社会的な損失だ。そのために小児科の医者が不足するなら、なおさらだろう。

 死のうが助かろうが、患者も周囲も納得しなければならない。

責任が重い上に、難しく、きつい。開業医というのはたいへんな仕事だ。医者は体力的にも精神的にも強い人でなければ務まらないと感じた。

2006/01/15

道議会、道教委の裏金問題と道新

 ヤメ記者さんからTBをいただいて、再び北海道新聞がおわび 「道警の泳がせ捜査失敗」記事について書きたい。このサイトのテーマともかけ離れてるし、また長い文章になりそうだがご容赦いただきたい。

 道新がなぜあんな大げさな謝罪文を載せたのかは謎だが、適当なところで手を打たなければ自分自身も大変になるという事情があるのだろう。

 私は道立高校の教員だが、道新から追求される側の立場に立ったことがある。道から学校に渡る予算の何%かを道教委の指示に従って、教育局に上納するというシステムについての追求だ。当然、あってはいけない金で「バック」という隠語で呼ばれていた。

 常套手段として用いられたのは「空出張」だった。実は私も協力したことがある。事務長から困った顔をして「帳尻が合わなくて、はんこ貸してもらえないだろうか」と頼まれると、「ああいいですよ」と快く応じていたものだ。

 道警裏金問題の内部告発者も言ってたが「金のことについてウダウダ言わない」というのが美徳のような雰囲気もあったと思う。 新聞紙上で追求がはじまったとき「うちの学校にもバックはあるんですか」と事務長に聞いた。

 「道教委のシステムだ。事務を扱ってれば誰でも知ってる。」

と言われショックを受けたのを覚えている。

 あの時の幕引きも「私的流用はなかった」だった。道新の社説で「必要な経費は、裏金でつくるのではなく、しっかりした予算を」というようなことが書かれており、「何だこの腰砕けは」と思ったものだ。裏金に私的流用がないわけがない。領収書がないんだから。

 道新のかなり上のポストにいる方と「故郷つながり」で酒を酌み交わしたことがあった。驚いたことに、この不正問題について「そんなことがありましたっけ?」と聞き返された。

 読者側から見ると、全社一丸となって取り組んだ一大プロジェクトのような印象があるが、担当部署と記者の小さな取り組みのようなものらしい。これは推測だが、中心になった記者がいなくなると途端に推進力を失うのではないだろうか。

 道教委を追っていた記者は釧路へ転出したと聞く。新聞社としてはこれ以上追求しても自社にメリットはないと判断したのだろう。

 これが道教委では

「跳ねっ返りの記者が、誰でも知ってることを、周囲が制止するのも聞かず暴き立てて大騒ぎにしてしまった。度を超えて、釧路に左遷された」

 という解釈になる。差し障りがあるので情報源を書けないが、道教委の中枢にいる人から直接聞いた話だ。

 でも、記者の暴走であそこまで、できるというのは解釈に無理があるだろう。

 道議会や道教委のような取材源と新聞社は持ちつ持たれつの関係にある。だから、適当なところで記者を担当から外して転勤させ

「いやー、すみませんでしたね。飛ばしましたから、もう大丈夫です」

で手打ちをするパターンだろう。

 ただ、今回はそれが通用しなかったようだ。

 道警が攻勢に出てきた~道新謝罪問題で

 不正を闇に葬ろうとする道警の態度は論外だが、「伝聞に基づいた内容を、記事化」というのは、道教委裏金問題の時に私も感じた。記事の内容に深みがなくなった頃、撤退したように思う。今回も取材の限界だったのではなかろうか。

 新聞社も営利企業である。北海道新聞は函館新聞に対する営業妨害をとってもえげつない方法でやった実績がある。決して公正な企業ではない。新聞記者の正義感とは別に色々な計算が働いているのだろう。

2006/01/14

北海道新聞がおわび 「道警の泳がせ捜査失敗」記事

タイトルはasahi.comが伝えているものだ。

 今朝の道新を開いて、いきなりお詫びの記事が目に飛び込んできた。新聞がこんなに大きく訂正記事を載せることがめずらしい。見出しが不適切だったという程度のことでこれほど大きな訂正記事をのせることがあっただろうか。驚くと同時に何か変だと感じた。「一連の道警疑惑追及に対する道警の反撃だろうか。」と思った人は多かったみたいだ。ネットをのぞくと関連記事が簡単に引っかかってきた。

北海道どっと来夢 

5号館のつぶやき 

情報誌「ストレイ・ドッグ」(山岡俊介取材メモ)

 私は知らなかったが、道警が道新を脅迫しているという噂は前々からあったらしい。5号館のつぶやきさんがリンク記事の中で次のように述べている。

問題になった記事は、昨年の3月13日に出たもので、実名を出して複数の警察関係者の証言に基づき、取材をした上で「疑惑」を提出したものであり、警察は否定しているとも書いてあるので、なぜこれをこんなに大々的なおわび記事にしなければならなかったのかと考えると、今までに出ていた「噂」の信憑性が浮かび上がってきます。

 一連のブログ記事を読む限りにおいては、道警からの圧力があるということと、道新の経営側に道警に妥協しようとする動きがあるということは、間違いないのではないかと感じました。

 まったくその通りだと思う。一連の事件に関する道警の態度は本当にろくでもないと感じる。道議会も片棒を担ぐ形で、どこに正義があるのかと思う。道警や道議会の悪辣さは「悪人たち」でも書いたが本当にひどい。これまでの流れを振り返ると、保身のために脅迫や恫喝くらいやっても別に不思議ではない。疑われても仕方がないのが今の道警だ。

 本当に世の中いつからこんなに腐ってたんだろう。

2005/02/27

通信制研究協議会に参加して

A高校で通信制の協力校としての活動を委ねられているY先生のレポートです。職場新聞に載ったものを了解を得て転載しました。

 6月4日(金)通信制の協議会に参加してきました。
 昨年は出席していませんので二年ぶりということになりますが、通信制高校も時代の流れを受け、その役割が変質して来ているのがわかりました。
 新入生に比較して途中転入生がはるかに多くなっています。全日制や定時制から転入して来ているわけです。全日制が20クラス以上(全道で)減少し、通信制がその受け皿として高卒資格をとるための救済機関の役割を担い、機能していることになります。
 道内には150人(通常4間口規模)を越える規模の協力校が数校存在します。(函館中部、岩見沢東、旭川東、帯広柏陽など) その運営が大変な状況になっているのは想像に難くありません。この広大な北海道に公立通信制が一校しかないというのは、その運営に関わる内容の困難性から考えても無理があると感じました。
 A高校の場合、最近通信制生徒在籍数が増加し、全員が通学しだしたら、授業展開や協力校運営要領の見直しをしなければやっていけない状況になると思います。 現在実際の受講生が30名前後ですので、まだ(全日制の)先生方の協力で運営できているというのが実態です。
北海道の通信制に対する実施運営要領は道外と比較すると、旧態依然として大変遅れていることが議論されていました。他府県は地域が狭いこともあるのでしょうが、(通信制高校の)本校の先生が協力校に出向き、直接運営に関わるケースが多くなっています。
 現在、札幌市の中央にある本校は、校舎改築を理由に石狩の方に校舎移転をしている最中ですが、通学生にとっては大きな問題です。市内にあるから通学できる生徒がどうなるかなどほとんど考慮されていないわけで、通信制本来の設立趣旨から考えてもおかしな決定です。
 豪華で馬鹿でかい校舎を移転して全面改築する経費があれば、地域分割でもしてもう一校作った方が、長い目で見ればよほど経費の節約ができそうな気がするのは素人判断なのでしょうか。統廃合であちこち余った校舎を活用するのも、一つの手かなと素朴な印象をもって帰ってきました。
 研究発表の中で、協力校の入学式・始業式で「国旗・国歌の法制化」にあわせて昨年から入学式・卒業式に国旗掲揚・国歌斉唱を取り入れたら、とても式全体が引き締まり、厳粛な雰囲気の中で式が行われた。ぜひサイズを合わせるために国旗を配布してほしいとの要望がありびっくりしました。
 それまでおとなしく話を聞いていたのですが、これにぶちきれて質疑応答の最後に「A高校では、協力校として校長・教頭出席の上、始業式とガイダンスを一緒に実施している。
 協力校の規模や入学式・始業式の意味合いも異なる中で法制化されたからといって国旗・国歌を式次第にいれるというのは話がややこしくなると思う」と発言をしましたが、何の応答もなく、一蹴されてしまいました。(言わなきゃよかった!)
 ちなみに、指導主事から、この研究発表がものすごく高く評価されていたのは、時代の流れかとため息をついて帰ってきました。
    
備考
※ 北海道には公立で唯一の通信制高校である有朋高校があります。本校は札幌市にあ りますが、全道に数十校の協力校があり、日曜日のスクーリングやガイダンス、ある いは日常の相談などにあたっています。協力校に勤務している全日制の教員が半強制 的に駆り出されていますが、いつまでも半分ボランティアのようなあり方に批判も 多々あります。