リンク

日記・コラム・つぶやき

2012/05/02

4月、全員無欠席!

  中学校からの内申書を読みながら、果たして登校できない生徒が何人出るだろうと気を揉んでいましたが、新一年生は4月10日の入学式から今まで無欠席です。せめて一週間通い続けてくれれば何とか学校に定着させるtことができると考えていましたが、そんな心配は無用でした。17人の小さなクラスですが、教室がちょうど良い広さに感じます。
 
 定時制には色々な生徒が来ますが、共通点は『本当は全日制の学校に通いたかった』という思いを持っていることです。経済的に困窮して全日制の学校には通えない境遇の人、中学校で不登校になって全日制の学校では受け入れられなかった人、あるいは何らかの事情で全日制の高校を退学してしまった人などです。もう一つ共通しているのは『今度こそ・・・。』という強い思いがあることです。今度こそしっかりした学校生活を送りたい、今度こそ人間関係をうまく築きたい、今度こそ高校を卒業する。そんな思いです。その今度こそという思いを大切にし、可能な限りの教育をして社会に送り出すのが私たちの仕事です。

 無風の船出になりましたが、この先の4年間何度も嵐に遭遇することでしょう。HRという小さな船でそれを乗り切らなければなりません。17人の乗組員を見ながら、このメンバーなら楽しく冒険できるかもしれないと思っています。


 

2010/06/07

占い師が担う役割

 @niftyのホームページにも占いコーナーがあるが、テレビも本も新聞もよくまあこんなに占いのネタがあるもんだと思うほどたくさんの記事が載ってる。それらがでたらめであることは過ぎ去った日々の自分の運命と占い結果を照らしてみるとか、複数の占い欄を開いてみるとその日の運命が全然違うことからも明らかなのに、思わず頼ってしまう人がそれだけ多いということだろう。
 金に困ったら占い師になるというのはいい考えだと思う。あまり大きな声ではいえないが、私も「占いを勉強しよう」と真剣に考えたことがある。金儲けとまではいかなくても小遣いぐらいは稼げそうだと思ったからだ。これでカウンセリングのセンスがあれば、一財産築けるかもしれない。

 若い頃はなんでこんなインチキが堂々とまかり通るのかと憤りを感じたこともあるが、年齢を重ねると占い師は占い師で重要な役割を担っているのではないかと感じるようになった。

 「本当にどうしていいかわからない」「どっちに進んでも大して変わらない」というときには誰かに「こっちに行ってみれば」と言われることがとてもありがたい。生活にたいした目標もなく、周囲の人とのつながりもないと感じたとき、根無し草のように自分が浮き上がる。風もなく岸にたどり着けそうもない。孤独と不安が身を包むとき、どこからでもいいから押してほしいものだ。成長途中の子供はよくこんな状態に陥る。だから、占いコーナーは高校生にとって必読コーナーになっている。

2010/04/04

座り込みに行ってきた

 教員という仕事はいつ誰に見られているかわからないから、自分の町にいるときには油断できない。

 「昨日駅にいたよね。どこかに行ってきたの」

 言葉遣いが間違ってるなあと思いつつ、注意するのも飽きてきたので聞き流して会話に入った。

 「道庁へ行って座り込みして来たのさ。給料減らすっていうから。」

 彼の目がキラリと光った。興味を持ったらしい。

 「先生たちが座り込みなんかするの。イメージ崩れる。」

 「資本主義社会は契約社会だから交渉が必要なんだよ。使う方は安く使いたいし、働く方は少しでも多く給料をもらいたい。それは当たり前の話だろ。座り込みはデモンストレーションの一種、プロ野球選手の契約交渉と同じさ。」

 「ふーん、大変だね」

 「まあ、就職したらすぐわかるよ。ボーナスは何かと理由をつけて削るし、残業手当だって半分もでないところだってある。求人票はウソだらけ。自分の利益は自分で勝ち取れこれ真理」

 「先生が生徒にそんなこと言うの」

 「現実を教えてるんだよ」

 「何かドラマ気取りじゃない?」

  まあ、そのうちわかるでしょう。たくましく生きてちょうだい。

2008/08/09

再び稚内商工の生徒自殺について

 宗谷教育局が再調査という記事がネット上にある。聞き取りの方法、教諭の言葉についてとのことだ。

 校長が記者会見で毅然として、明確に遺書の内容を否定しているのが印象的だった。スタッフはしっかりした指導をしてるし、学校はやらなければいけないことをしっかりやったのだという意志が感じられた。状況的には不利だが、袋だたきにあうのを覚悟の上であえて弱腰の発言を避けたのだろう。

 父親の記者会見についてもネット上では様々な批判があるが、父としては当然取るべき態度であろう。息子を失った親としては昂ぶる感情を抑えて立派だったと思う。

 道教委の調査は自分たちの責任回避を最優先するため学校は孤立無援になるだろう。

 前の記事でも書いたが、事情聴取が2~3時間に及ぶことなんか珍しくない。それをもって不適切とされれば生徒指導は大きな困難に直面する。マスコミに尻尾を振って学校を窮地に立たせることがないようしっかりした見解を示してもらいたい。

 もうひとつ気になるのは、他人に「死ね」という人間が先生から「死ね」と言われたから死んだのではないかという仮説で調査をすることになる。仮説そのものに無理がある。調査結果については一部だけではなくすべてを公表してもらいたい。

 難しいネット事件への対応

 「先生は不公平だ」「けじめをつける」「停学は重すぎる」「やりたいこともあった」
残された言葉に怒りと絶望が感じられる。

 タバコを吸ったわけでもないし、暴力をふるったわけでもない。誰もが合法的に使える掲示板に、教室で飛び交う「死ね」という言葉を書いただけなのに停学なんて、おそらくこの子は自分に起こったことが理解できてないだろう。

 「ウザイ、死ねや」はほとんど定型文で、きっと生徒会役員だったというこの生徒も何回も浴びせられたことがあるだろう。人を動かす立場にいる生徒は多かれ少なかれうるさがられる。それは今も昔も変わらない。

 「普段教室で言われることをネットに書きこんだだけなのに。」

 とてつもなく大きな事件になってしまった。教室内の暴言や黒板の落書きでは停学にならなかっただろう。

 道教委はネットの書き込みについての指導をつよめている。これによる陰湿ないじめが多いからだ。近隣の高校では携帯を使った掲示板への書き込みが元で生徒が逮捕されるという事件が起きている。ただ「突然のルール変更」という印象が拭えず、いかに父母に通知し、全校集会で説明しても徹底するまでには時間がかかる。この生徒も事の重大性は理解できず、パニックに陥ったに違いない。富良野でも同様の事件で女子生徒が飛び降り自殺をしている。

 生徒にしてみれば軽い気持ちで、大したことはないと思ってやったのに突然、きつく叱責され、停学という重い懲戒処分を受け、驚愕し、怒り、絶望し、冷静な判断力を失うのだろう。 

  ネット問題を考えると指導自体は厳しくしなければいけないし、方向性は間違っていないと思う。 ただ、たかが「書き込みくらいで」という認識の甘さを正してからでなければ指導は入らない。今は残念ながら世間一般の認識が「書き込みくらいで」というレベルだ。

 急速に発達するインターネットが作り出す世界に、学校も生徒も適応しきれずにいる。

 

2008/08/07

携帯掲示板で友人中傷 教諭が注意、高2自殺

 今朝の北海道新聞の記事に衝撃を受けた。どこにでもありそうな事件で、どこでもありそうな生徒指導で一人の生徒が命を絶った。新聞に書かれている内容が真実なら、私も同じようなことをしている。いつ身の回りで、私が原因になって同じことが起きても不思議ではない。 

【稚内】道立稚内商工高(川崎博正校長、三百三十七人)の二年生の男子生徒(16)が七月下旬、携帯電話サイトの掲示板に同校生徒の誹謗(ひぼう)中 傷を書き込んだことから、学校側に事情を聴かれ、その日の夜に自宅で自殺を図り、今月四日に死亡していたことが六日、分かった。

 生徒は自殺直前に書き残した文章に、教諭から「死ね」などと言われたと書いている。学校側は「そうしたことは言っていない」と話している。

 同校などによると、掲示板の内容が学校内で話題になっていたことから、七月二十日午後二時すぎから断続的に約三時間、男子生徒に計六人の教諭が事情を聴いた。男子生徒は「軽い気持ちで安易に書き込んでしまった」と認め、反省していたという。

 男子生徒は午後五時ごろ、迎えに来た母親と帰宅。同日夜に自宅で自殺を図った。

 書き残していた文章はノート三ページにわたってつづられ、自分の部屋の机の上に置いてあった。

 文章には「自分は殺す。死ね。と軽々しく書いたので(中略)ケジメをつけるために死のうと思う」などという心情のほか、事情を聴かれた際の状況として「お前の罪は重いと。死ねと。他の先生からは、お前はバカか?と言われました」などと記していた。

 川崎校長は「書いてあるような言葉を言ったことは一切ない。事情を聴く中で大きな声を出したことは二、三回あるかもしれないが、事情聴取 が本人を追い詰めたとは考えられない」と否定。事情聴取が三時間に及んだことについて「いじめの有無なども調べたので時間がかかった」としている。

 男子生徒の父親は「息子は『死ねと言われた』と書き残したが、これらが自殺の引き金になったのではないか」と話している。

(北海道新聞のサイトhttp://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/109695.htmlより引用)

 7月14日には富良野で携帯への書き込みを注意された女子生徒が飛び降り自殺をしてかなり大きく報道されたばかりだ。

 記事の中で「事情聴取が三時間に及んだこと」について問題視しているのが気になる。私も生徒指導を直接担当する分掌におり、事情聴取をすることが多いからだ。3時間くらいかかることは珍しくない。ずっと聞き続けるわけではない。複数の生徒が関係する場合は全員の話が一致するまで、交互に話しを聞くから2~3時間は必要なことが多い。いじめが絡んでいる場合は当事者同士の認識が違うからなおさらだ。ここをいい加減にするとあとあと尾を引くことになるから、決していい加減にはしない。いじめられる生徒を見殺しにするようなことになりかねないからだ。

 
 「死ね」という書き込みを注意しているときに、「お前が死ね」と言うとは思えないが、「お前が死ねといわれたらどんな気持ちがする!」くらいの恫喝はあっても不思議ではない。私もそうするだろう。

 
 富良野の生徒も今回の生徒についても、なぜ自殺しなければならなかったのかどうにも理解ができない。  

 ただ「死ね」という言葉の重さを10代の生徒はそれほど感じていないように思う。本当に「殺す」「死ね」を気楽に使う。

 私が子どもの頃にもジョージ秋山のマンガに「いつか殺してやる」という台詞が使われていた。当時としては刺激が強く、子どもの間に流行して大人たちは眉をひそめたが、自然に消滅していった。あれと同じなのかもしれない。我々は過剰反応しているのだろうか。

 昔と大きく違うのは、ブログや電子掲示板の存在だ。「死ね」という言葉もその場で消えてしまえば忘れ去られる。今は言葉がいつまでも生き残って広く行き渡ってしまう。「殺す」と書けば殺人予告で逮捕される時代になった。でも子どもは昔のままどころか幼稚化している。本当に軽い気持ちで書き込んだのだろう。結果として起きたことが自分の想像力を越えており「大変なことをしでかしてしまった」という不安感に襲われたのではないだろうか。

 近隣の高校でも、掲示板に不愉快な内容を書き込まれたため警察に被害届を出し、同級生が逮捕されるという事件があった。

 本当にこれでいいんだろうか。生徒も教員も警察も親も意識がインターネットについて行ってない。北海道新聞の報道も暗に「学校の事情聴取の執拗さ」「教師の暴言」原因説を臭わせているが、あまりにも安直だと思う。

 時代に追いつかない情報教育のあり方、ネット事件に対する生徒指導のあり方、報道のあり方に多くの問題を投げかけられている。

2006/10/29

本当にいじめが耐えない

 しばらく書かない間に本当に色々な事件があった。「いじめ自殺」は本当に深刻で、どんなに言葉を尽くしても、その辛さは本人にしかわからないだろう。

「誰にも言えない、いじめられることが恥ずかしい、親には絶対知られたくない。自分が情けない。」

 10歳前後の子どもがたった一人で死んでいく世の中とは何だろう。

 子どもだけじゃない。 弱い人間は、より弱い人間をいじめ、からかうことで周囲に存在を認めてもらおうとし、最も弱い立場の人間は耐えきれず自ら命を絶つ。

 誰かをいじめていた弱い人間もやがて自分が一番弱い立場に立たされる。一人で放り出されたときはもう死んでいくしかない。

 何と自殺者の多いことか。

2006/08/22

駒大苫小牧野球部えらい。

 本当にすごかった。安心してみていた試合は一つもなかった。ここ3年夏はずっと楽しませてもらったし、感動や元気をもらった。北海道経済もどん底にあるけど、駒大のゲームを見てると「あきらめないぞ」という気持ちになってくる。

 彼らがじっと耐えて戦ったのはグランドだけではなかった。去年、甲子園二連覇を成し遂げた直後から打たれ続けだった。一時はもうだめかも知れないという状況に追い込まれていた。めちゃめちゃ打ち込まれてから、じわじわと追い上げ、大量点に結びつけるスタイルはここ一年の彼らの生活を凝縮しているようにさえ思う。

 暴行事件・飲酒喫煙事件で翻弄され続けた現3年生、世間の好奇心やマスコミの餌食になりながらもただひたすら耐えて野球を続けた生徒たち。ベンチに入った選手もスタンドで応援した選手たちも本当にすばらしい。

 北海道はもう夏休みが終わっている。再戦が行われている時間帯、私は授業中だった。携帯電話は御法度だったが多くの生徒が机の下で結果を追っていた。「4対3になった」とささやきが聞こえる。注意をすると「2アウトです。いまだけ許して」「2ストライクです」と生徒から報告が入る。私ももう授業どころではなかった。今日は特別に怒らないでおこう。私は机間巡視をするふり、生徒は練習問題を解くふりをしながら、経過報告に全神経を集中していた。

 最後の一振りの瞬間あちこちの教室から悲鳴が聞こえた。

それにしても何とドラマチックな幕切れだろう。不敗を誇り、死闘を繰り返してきた王者がついに力尽きた。3連覇するよりもはるかに心に強く残るだろう。

 

2006/08/17

靖国神社 首相参拝支持が過半数

新聞によれば、首相の靖国参拝を支持する人の割合が半数を超えるという。驚いた。

 「国のために戦った人のために首相が参拝するのは当たり前」だという意見はもっともらしく聞こえる。

 しかし、あの戦争では、全国民が政府によって駆り立てられたのではないか。その結果として原爆で殺戮された人々、東京空襲で焼き殺された人々、多くの地方都市でも空襲によって亡くなった方々は多い。「靖国には祀られていない多くの犠牲者」はどうでもいいのか。

  さらに靖国は国内問題と言い切れるのか。第二次世界大戦における日本の行動を正義と言ってはばからない靖国の姿勢は、当然中国や韓国の国民感情とは相容れないものだ。加えてA級戦犯合祀はその主張を強めるものとなる。

「広島・長崎への原爆投下は戦争終結のため必要不可欠であり、多くのアメリカ兵の命を失わずにすんだ。早期に平和を実現するためにとても有効な手段だった。この偉大な事業を記念してエノラ・ゲイをスミソニアン博物館に展示する」

 というアメリカの行為は日本人としては腹立たしくて当たり前だし、そのうえ毎年大統領が栄誉をたたえてそこを訪問するというようなことがあったらやりきれないだろう。

(実は「いいんじゃない?何かおかしい」という声が聞こえそうで怖い。)

 

 ※ きっこのブログに「原爆の日」 という記事がありますので勝手にリンクさせていただきました。すばらしい内容ですので勝手に紹介させていただきました。

2006/08/15

8月15日 終戦記念日

 小泉首相が靖国神社を参拝した。国内では賛否両論が渦を巻いている。韓国は強い抗議の意志を表した。先の大戦の反省が為されていないと捉えるのは、被害国としてはまあ当たり前の感覚だろう。

 戦争や平和を生徒に伝えるのは本当に難しい。言葉にすると通り一遍のお説教になってしまうからだ。生徒を連れて沖縄に見学旅行に行ったが、そこでも戦争の悲惨さを実感できたかと聞かれると自信がない。かつて、この場所で多くの人が死んでいったことを理解するためにはかなりの想像力が必要だ。それがないと関ヶ原でも沖縄でも同じことのように感じる。歴史の教科書の中の一ページとしかうつらないだろう。

 「戦争で死んだ人をお参りするのがなぜいけないのか」

 ということで多くの人が色々なことをいってるが、理由は人それぞれではなかろうか。

 私の場合は

1,A級戦犯合祀は、「東京裁判なんか受け入れないよ。あの戦争は正しかった。」という主張につながっている。それを首相が参拝するのは「何か文句あるか」といってるに等しい。

2,靖国神社の営業的な問題もあるのだろうが、戦死者の信仰や意図ににかかわらず、勝手に合祀している。靖国の横暴であると同時に、かつて、多くの若者を戦地に送り出す道具となったことへの反省が靖国にはない。「政治的宗教団体」として未だに戦争賛美を繰り返す靖国自体が抱える問題も大きい。

 「靖国に参拝する=戦死者に哀悼の意を表わす」というのは無理がある。政治的な色彩の方がはるかに濃い。

  先の戦争の後始末について、東京裁判の結果のみが取りざたされるが、日本人は自分たちで戦争責任者を裁いていない。日本人自身も「お国に殺された」と思っている人が少なくない。そして戦中指導層にいた人々は「一億層懺悔」ということばで自分たちの責任逃れをした。「あの戦争は日本人みんなでやったんだから、みんなで謝ろう」という言いぐさだ。彼らのおかげで家族と引き裂かれ戦死した人、あるいは広島、長崎、東京で業火に焼かれ死んでいった人はどう思うのだろう。

 年に一度のこの日、父母や妻や恋人や子どもと泣く泣く別れて戦地へ行った人、遺書も残せずバンザイ突撃で殺された人、海底に消えていった人。原爆や焼夷弾に焼かれた人、機銃掃射で体を打ち抜かれた人、食べ物もないジャングルで死んでいった人、特攻機や人間魚雷にのって一人で死んでいった人、戦地で銃殺された人、命令に従って実行した残虐行為の責任を問われて戦後に処刑された人、

 そんな人たちの無念さを思い「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意」する日でありたい。

2006/03/26

口が汚い石原慎太郎

  tamyレポートというブログを時々拝見している。ストレートに乱暴者を批判するのが好きで、読んでいるとすっきりする。

 「押しつけ教育を迫る都政と都議会のいま」という記事を読んでいたら、都議会と都知事の下品な振る舞いがレポートされていて、「本当のことかい?」と思ってしまう。

 この振る舞いは今はじまったことではないだろうに、東京都民はどうして彼を都知事に再選したのだろう。

 この記事を読んでいて、ある小説を思い出した。

  高校生の時に、下宿の部屋にだれかが置いていた「青年の樹」という本を読み、石原慎太郎に興味を持った。ところが、次に読んだのが「某国の潜水艦の中でクーデターが起こり、それが元で第三次世界大戦が勃発する」という内容の小説だった。

 思想というにはあまりに稚拙で「話題になることができれば、なりふり構わず」という根性が透けて見え、読まされたことに腹が立つような内容だった。先に読んだ「青年の樹」まで裏側が見えて何かつまらなく思えた。

 「あの本は何という題名だったんだろう。どんなストーリー展開だったっけ」と調べ直したら、不思議なことに、これを見つけ出すことができない。

 作品を調べてもそれらしい題名が見つからないから不思議だ。いつどこで読んだのかも思い出せない。

 私が夢でも見たんだろうか。日頃の都知事の言動から私が空想していたんだろうか。

それにしてはあの嫌悪感はリアルだった。

 どなたか知ってたら教えてほしい。

 

より以前の記事一覧