発達障害の苦しみ Mさんからのメール
はじめまして
サポート校を調べるところから
不登校の実態はどうなっているのだろう?と思い
色々なサイトを拝見していて先生のHPにたどり着きました。
突然ですが聞いていただきたいことがあってメールしました。
私には4人の子供がいます。
現在こ高1の長女が小6、中3の時に不登校を経験しています。
当時、理由は本人も「わからない」と泣くばかりでした。
「疲れたら少し休んで良し」と休ませると
その翌日には登校
しばらくして引き金になることがあると
また一日休んで登校
時には2日休んで登校を繰り返していました。
卒業を指折り数えていました。
高校生になって毎日活き活きと生活している今になって彼女が言うには
小学校当時は友人関係が上手くいかなかった事
担任が無理解であった事
信頼されていない担任と表面上上手く付き合っていかれる同級生に対し
人間不信になった事などが主な原因だったそうです。
中学校時代には数週間の不登校がありましたが
生活は親とともに外出や家事をするなど
生きていくのに必要と思われることはさせていました。
中学当時の不登校の理由は今もって不明です。
次女(中1)と長男(小3)は広汎性発達障害と診断されています。
それぞれ診断がついたのは1年ほど前です。
子供達は自分と自分がこれまで見てきた家族によく似ていましたので
それは性格であると思っていました。
長男は不適応行動も起こしていましたが次女に関しては
受診を伝えた私に学校と教育センターは「その必要なし」と言いました。
親の私が「受診します」と決意しなければ
次女は今でも「普通の子」として扱われていたでしょう。
文部科学省の発表では軽度発達障害児は小中学校の6%と言いますが
実際はグレーゾーンにある子はかなりの数になると思われます。
私が大多数の親と違って次女の受診に至ったのは
私ができた親だからではなく奇跡的偶然だと思っています。
アルコール依存症の父と、病気だと言い張る病的性格の母を見て
反面教師にしてきた環境だったからこそ気がついたわけで
大多数の親は気がつかないまま子供は思春期に入っていきます。
事実我が子たちのクラスにも
受診すればほぼ間違いなく診断がつくだろうと思われる子供は複数いますし
障害とまでは言わなくても我が子と同じに理解されてフォローされれば
もっと生きることが楽になるだろうと思える子供はかなりいます。
子供の診断がついて自分も同じタイプの脳に生まれついていることを知りました。
離婚した夫も、長女も困難の度合いが違うものの同じでした。
私にとって「普通」とは恐怖の言葉でした。
私はずっと「普通の子」でした
どこに行っても特に大きな問題を起こさないのでいつも見過ごされました。
成績も中間でおとなしく泣いているばかりの子でした。
神戸の事件の酒鬼薔薇が自分を「透明な存在」と表現した時には
「同じ事を感じている子がいた」と驚いたものです。
(幸い私には虐待に喜びを感じる要素がありません)
普通に見えるけれど普通ではない
「普通」であることを求められてもそれが何を指すのかわからず混乱し
混乱してはいても自分が何に対して混乱しているのかもわからず
「わからないことは聞きなさい」といわれても
わからないとはどれを指すのかもわからない人間でした。
・・・と今はこう論理的に書ける私が
「わからないことがわからなかった」と言っても信じられないでしょうね。
でも本当にそうなんです。
「普通に生きることの辛さ」をテーマにしたHPを作っていたくらい
自分は普通であると思い、生きることは苦しく、がむしゃらに努力していました。
私には不登校もひきこもりも経験がありません。
精神科への通院歴もリスカなどの問題行動もありません。
だからといって社会に適応していたわけではないのです。
(リスカは痛みによってある脳内物質が出て精神安定剤の役割をするそうです)
今になって自身が広汎性発達障害という自閉圏の人間であるとわかり
初めて「あぁやっぱりずっと困難だったんだ」と振り返って自覚しているのです。
客観性が低いので『他の人間をやったことがない』という理由で
自分が辛いのかどうかもわからず、耐えていたりします。
この年になって だからあの時・・・と思うことはたくさんあります。
ずっと誰にも相談したことがありませんでした。
何事も自分で決めて失敗して責任をとってきました。
自分が損をするかもしれないと思うことでも問題が複雑になることは避けてきまし
た。
誰かに助けて欲しいと思ってはいても方法がわからず何でも自分でやってきました。
自分が認知に障害を持っていて
『相談』という言葉もその意味も知っていたのに
その『相談する』と言う行為が自分とどう関係があるのか
わからないままで生きてきたのだと知ったのは昨年でした。
私はすでに45歳でした。
長く生きていますと経験したことはできるようになりますので
今は子供の学校のPTA役員もやっていますし
下請けで営業の仕事もしています。
集団の中で発言することも人をまとめることもできるようになりました。
周囲に「私も軽度発達障害があるんだよ♪」と言っても信用されません。
誰にも迷惑かけずに(たぶん)生きていますが本人はとてもキツイです。
朝起きて、気温に合わせて服を選ぶことがとても難しいです。
とりあえず身につけた下着姿でウロウロしています。
人にそう話しても「え?あなたが?」と驚かれます。
事前に準備していないことはとても不安になります。
物事の優先順位がわからずありとあらゆることに手をつけてしまうので
家の中はすぐに散らかり物がなくなります。
人生の大部分は探し物に費やされていると感じます。
刺激を排除することが難しいので周囲の騒がしさにイライラします。
感覚過敏があるので常に音にイライラするのですが
寝不足の時にはスプーンが食器にコツンと当たる音さえ頭に響き耳が痛くなります。
(コレはつい最近気がついたことです。
今までは理由もわからずただイライラしていました)
感情のコントロールが難しく周囲にいる人の行動にすぐ反応してしまい
怒ってばかりいるので疲れます。
高校生当時を思い起こすと周囲のうるささを感じないために
自分が大きな声を出して騒いでいたのでは?と最近気がつきました。
タバコを吸っていない人には他人のタバコの煙が辛いけれど
自分も吸ってしまえばあまり感じないのと似ているような気がします。
事例集の中にあった
不登校の子が外出時に制服を着用していた事、
学校への愛着と解釈されていましたが
もしもその子に少々の自閉的傾向が認められたとしたら
その行動の意味はまったく違うものになったりします。
私も制服は大好きでしたが、
それは組み合わせや靴とのコーディネートを考えることなく
6月10月で夏服冬服が分けられていて
迷わなくてすむ利便性のゆえでした。
制服さえ着ていれば大人にいちいち文句をつけられなくて済むので
余計な人との軋轢も避けることができました。
しつこいようですが私はいたって普通に見えます。
むしろ自分のスタイルを持っている凛とした人間だと思われています。
本人もつい1年前まで普通だと思っていました。
私が先生の学校の生徒だったとして、
もしも万が一私の困難に先生が気づいて声をかけてくれたとしても
「大丈夫か?」と聞かれた私は「大丈夫です」と答えるでしょう。
何が大丈夫なのか今ひとつわからないけれど心配されていることは理解でき
相手に心配をかけないのが正しい方向だと学習してきているので
こう答える以外には言葉をもたないのです。
地域で振り分けただけの小中学校に6%いるのだとしたら
高校には学校によって
それより多い数字の困難を持つ子供がいるのでは?
と想像するのには無理がないと思っています。
中にはこんな子もいるのかもしれないと思っていただき
軽度発達障害に興味をもっていただければ幸いです。
このメールに書いたのは私自身の事例であって
軽度発達障害者は千差万別であると言うことはお伝えしておきます。
初めてのメールで長々と失礼致しました。
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