情熱なんか役に立たない
高校教諭を目指すとき多くの人は、自分の専門分野の授業だけを想像するのだろう。私自身がそうであった。実際に教員になって多く悩まされるのは教科指導法なんかではない。それ以前に集団をまとめる力、リードする力、会話する力が求められる。そして時にはけんかする力、威圧する力だって必要になってくる。多くの若手教員がつぶされるのは教科指導ではない。生徒、保護者との関係をうまく築けないことに起因する場合も多い。さらに「日の丸・君が代強制」に見られる思想的な締め付けも自分の身に降りかかるとその苦しさが実感できる。雑事に悩まされず、教科指導だけしたいなら塾の教師や進学指導のみに割り切った指導をする私学を目指した方がいい。
某研究会の席上、カウンセラーの方から、私の学校での言葉遣いを厳しく批判されたことがあった。
「お前らいい加減にしろ」という発言についてのものだったと思う。
「学校の中がどんな状態か知って驚いている。荒すぎる。子どもたちに向かってお前らとは何事か。とても乱暴だ。これでは生徒の心も荒れる。少年にはもっと良質の教育を与えなければいけない。」と怒りを露わにされたのには参った。
おだやかな世界に住んでいる人にはその通りだと思う。この雰囲気になじめず、登校できなくなる生徒もいるのかも知れない。しかし、「皆さん静かにしてください」「級友をいじめてはいけません」などという言葉が通用するほど生やさしい状態ではない場合だって少なくない。
新年度に入って間もなく、授業のはじめに遅れて入ってきた生徒がいた。
「座りなさい」
「うるせぇな」
「聞こえないのか」
「てめぇぶっ殺すぞ」
「誰に向かって言ってるんだ」
「先公がそんなに偉いのか」
「当たり前だ、お前らと同列だと思うな。お前なんかここにいる資格はない出て行け」
「くそー」
といいながらも彼は座り、授業の終わりに「すみませんでした」と謝りに来た。
本当に少数の生徒であるが「自由気まま」にやりたい放題をやりたがる生徒がいる。新年度においては授業でさえ教師から主導権を奪おうとするのである。ここで許すとその後の授業はめちゃめちゃ、教室も無政府状態になる。だから本気で立ち向かう必要がある。相手が悪いと、実際に殴られる場合もある。幸い私はそんな経験がないが、修羅場をくぐって来た人も多い。それが原因で学校を辞めていく生徒もいれば教員もいる。だから出会いはいつも真剣だ。生徒同様、教員にとっても4月、5月は胃が痛くなるような日々が多い。一学期が終わるころようやく雰囲気が固定するのである。信頼関係も敵対関係もこのころに形作られる。
難関の教員採用試験を通過しながら、数年で離職する教員も結構多い。
授業に行く途中、事務室の前を通りながら、「私はこの部屋の中で働いている人がうらやましい。毎日が平和だわ」と言った女性教諭がいた。彼女は2年あまりで職場を去った。当時転職したばかりの私も少なからず後悔していた。彼女の言葉を未だに記憶しているのは自分も共感したからに違いない。
それでもなお教員稼業が続いたのは生活がかかっていたからだ。毎日毎日「辞めたい」と思い、将来のことなんか見えない時間が続くとやがて開き直る。長い絶望に耐えるとだいたい道筋が見えるものだ。「仕方がない。相手をしてやるか。」と思ってからようやく生徒の顔が見えるようになる。「この道の他に我を生かす道はなし」という言葉が本来とは違った意味で自分のものになる。
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