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いじめに負けない勇気を持ちたい。

 イラクで人質になっていた三人が解放された時のことを思い返すと「教室の中でおこるいじめにそっくりだ」と感じる教育関係者も多いのではないだろうか。 
 総理大臣も「日本政府はあなた方を救うために全力を尽くしました。我が国の国民を保護できたことを誇りに思います。よく無事に帰ってきました。」くらい言えばいいのにと思うのだが、「まったく困ったもんだ、いい迷惑だ」みたいなことを言ってしまうし。
 最初は首相の人間としての器量の問題かと思ったが、官房長官、外務大臣が同じような発言をしているところをみると、政略として一応相談したうえでのことだと思われる。言ってみれば、生徒に暴力を振るう教員をある生徒が告発しようとしたところ、その行動に担任が不快感を示し、委員長が「少しは先生の立場も考えろ」副委員長が「私も、今そう言おうと思ってたのよ-」、最後に担任が「俺が丸く納めなかったらおまえは退学になるところだったんだ」といった状態である。ついでに同じ班の班長である道知事が「私も先生ににらまれるでしょ。勝手なことしないでよね。」
 しっかりしたクラスなら、「何いってんだよ、それでも委員長か」みたいな意見がたくさん出てきて大討論会になるところだろうが、今の時代そんなことができるほど力のあるクラスはほとんどない。
 
 社会も同じで、ほとんどの組織は力を持ったリーダーが存在せず、烏合の衆状態だ。力量のあるなしにかかわらず目立つ行動は叩かれる運命にある。 

 日頃、抑圧感や強い劣等感を持っている人畜無害な生徒たちが、反撃される心配がないと判断するや、弱った獲物に襲いかかるハイエナのように一斉に攻撃を開始する。罵詈雑言、嫌がらせの電話やメールを送りつけるのは大人も子どもも同じである。自分に危険が及ばないところで相手を痛めつけることに快感を感じるのは野生の本能ではないだろうか。いじめの加害者を追求していくと「そうしないと、自分がいじめられるから」といういいわけをする生徒がいるが、あれは嘘だ。「弱った生物をなぶり殺しにする」ことに快感を感じているのだ。愉快じゃなければやるわけがない。さらに問題なのは、自分が「悪いことをしている」という自覚がないことだ。最後は自分も被害者だと自分で思いこんでしまうから手が悪い。
 人質事件の三人に嫌がらせをした人たちも自分の行為が犯罪に類するものだとは思っていないだろう。ひどい場合は「自分は正しいことをしている」と心から信じている。ハイエナの役割を果たしている人々は、主体性に欠ける分、動かしやすく、もっとも利用しやすい層でもある。この辺の心理を熟知し、うまく利用しているのが週刊誌ではないだろうか。腐乱臭が漂う見出しを広告に掲載して、ハイエナたちをおびき寄せている。札幌ではあまりのひどさに中吊り広告の一部を黒塗りで消して掲示したらしい。

 いじめは日本の社会の根底にあるものの一つで、旧日本軍は陰湿で日常的に新兵がいじめられ、そのために自殺した兵隊も少なくないという。
 
 いじめのない社会は理想だが、およそあり得ないし、いじめをおそれて行動できなければ、それもまた困ったものである。自分の職業を遂行したり、自分の正義感や社会的役割を全うするためにあえて危険をおかした3人でさえこれだけの攻撃にさらされるのだ。日本社会で何か行動を起こすときにはたった一人でも戦い抜く気概が必要である。

 この記事を書いた後で香田さんがイラクで殺された。たしかに本人も悪いけど、最初の段階で「自衛隊は撤退しない」と総理大臣が言ってしまうのは良識を欠いており、批判されてしかるべきだ。政府としても無責任であったことを恥じるべきだろう。

 実は教室の中で行われるいじめへの対処はまさにこのパターンだ。教員がよく言うのは「お前にだって悪いところはある」という言葉、簡単に言えば「自己責任」だ。いじめは何も今はじまったことではなく、日本社会の中にしっかりと根を張っていることだ。負けない勇気を持って生きたい。野生動物ではなく人間であり続けるために。

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